2012年3月28日 星期三

無與衆謀

『素問』陰陽別論に「謹熟陰陽,無與衆謀」とあり、王冰注には「生死の疑も自ずから決し、正行して惑い無し、何ぞ衆謀議するを用いんや」といい、『太素』陰陽雜説の楊上善注には「謹んで能く陰陽脈気の道に淳熟して、心に決するものは、復た疑うこと有らず、故に衆人と謀議せざるなり」という。そんな必要は無いというつもりらしい。最近の中国の講釈もおおむね同じ。
ところが、和刻本の訓点を見ると、「陰陽ヺ熟シテ、衆ト謀ルコト無レ」のつもりではないか、と思える。他と謀って、当たり障りの無いことをする、などという態度では駄目ということではないのか。ましてや針は豪傑の術と喝破した先人もいることであるし。

3 則留言:

  1. 現代中国のものでは、『黄帝内経素問語釈』の語釈が、「臨症時応謹慎而熟練地辨別陰脈和陽脈,就不致于猶豫不決而謀之于衆子」(原文は簡体字)でした。これは1985年10月に山東科学技術出版社から出た本で、周鳳梧・張燦玾編です。これは、慎重に熟練した境地で陰陽を弁別すれば、猶予して決められなくて衆に謀るなんてことはない。楊・王は、陰陽に熟達すれば、はっきりわかるから問うまでも無い。まあ、似たようなものだけど、「猶豫不決」が身にしみる。

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  2. 張介賓は「獨聞獨見,非衆所知,故無與謀」(ひとり聞きひとり見る,衆の知るところに非ず,故に与に謀ること無し)といってます。これなんかも謀ったって無駄というわけなんでしょうが,自分一人で聞き,一人で見て,それで一人で工夫すべきであって,大衆を集めて相談したところで,そいつらが知っているという保証は無いし,そんなんでどうなるものでもない,ということ。楊氏や王氏のように,陰陽を運用すれば,人になんか問わなくたって大丈夫,と見得を切るのとは微妙にニュアンスが違うでしょう。

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  3. 『戦国策』趙策の武霊王に、「論至德者,不和於俗;成大功者,不謀於衆」(至徳を論ずる者は俗に和せず、大功を成す者は衆に謀らず)とある。してみると、「他と謀って、当たり障りの無いことをする、などという態度では駄目」という解釈も、案外と捨てたものでも無いような。

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