2012年3月7日 星期三

もともとの『素問』?

王冰次注本『素問』平人氣象論第十八に:

胃之大絡,名曰虚里,貫鬲絡肺,出於左乳下,其動應衣,脈宗氣也。盛喘數絶者,則病在中;結而橫有積矣,絶不至曰死。乳之下,其動應衣,宗氣泄也

とある。
上に「出於左乳下,其動應衣,脈宗氣也」と有り、下にも「乳之下,其動應衣,宗氣泄也」と有っては、いかになんでもくどすぎる。案の定、新校正に、全元起本には下の十一字は無いと云う。
しかし、『太素』卷十五・尺寸診には、通行本『素問』と同じ箇所には無いけれど、この下の「欲知寸口脈太過與不及,寸口之脈中手短者,曰頭痛」の條を隔てて、「乳之下,其動應於衣,宗氣洩」と有る。
在る位置は異なるにしても、『太素』にも有るとなると話は複雑である。『太素』は『素問』と『霊枢』から再編されたとして、その『素問』は王冰以前の『素問』だったはずである。その『素問』にはこの数句は有ったことになり、しかも全元起本には無かった。一体いつ、どのような事情で紛れ込んだのか。

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