『靈樞』經脈篇に、肺手太陰之脈の是動病として、「病肺脹滿,膨膨而喘咳,缺盆中痛,甚則交兩手而瞀,此爲臂厥。」とあるが、馬王堆漢墓から出土した陰陽十一脈灸經の臂鉅陰之脈の是動病としては、「心彭彭如痛,缺盆痛,甚則交兩手而戰,此爲臂厥。」とある。つまり、經驗の蓄積としては、心に關わるものであったのに、横隔膜上の藏として肺と心を想定したときに、肺の病として、レッテルの貼り替えをした可能性を思う。
ところが、『甲乙經』卷八の五藏傳病發寒熱第一下には、「臂厥,肩膺胷滿痛,目中白翳眼青,轉筋,掌中熱,乍寒乍熱,缺盆中相引痛,數欬,喘不得息,臂内廉痛,上鬲,飲已煩滿,大淵主之。」という。すでに、肺の原穴である大淵の主治症として、この資料を利用した氣配が有る。してみると、陰陽十一脈灸經から『靈樞』經脈への手直しは、『甲乙經』の經穴部分の原資料と目される『明堂』が編まれるよりも前、ということになりそうなんだが……。
腧穴學の根本資料としての『明堂』も、そんなに信賴に値するのか、というお話でした。
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