2015年8月27日 星期四

奇貨可居

『西湖夢尋』巻一の「昭慶寺」に「奇貨居く可し」という古典のことばが持ち込まれていて,東洋文庫に収められた訳本の注に,「戦国時代末期のこと,商人であった呂不韋が,若い微賎な秦の始皇帝を見つけ出して言ったことば」云々とある。はて,呂不韋が見つけ出したのは,始皇帝の父親となる子楚じゃなかったかね。大丈夫かい本当に,この訳註者。開く度に,何かしら見つかる。奇書です。


固めを為す?

『太素』卷三・調陰陽
陰者,藏精而極起者也;陽者,衞外而爲固者也。
楊上善注:五藏藏精,陰而陽也;六府衞外,陽而陰也。故陰陽相得,不可偏勝也。

陰者藏精と五藏藏精,陽者衞外と六府衞外は,ぴったり重なる。そして,極起を,(陰が)極まって(陽が)起こると訓んだ。してみれば,楊上善は,爲固を,(陽が)爲って(陰が)固まると訓ませるつもりではなかったか。

2015年8月14日 星期五

有と在

仁和寺本『太素』巻三・陰陽大論に「故清陽出上竅,濁陰出下竅」とあって,その楊注中に「起於中膲,並於胃口,出上膲之後」と言う。この「有」は「在」の誤りとして,新新校正には:
新校正は「有於胃口」の「有」を「行」に作るが,大正模写本を見れば「有」である。ただし,これは和訓が同じであることからきた誤りで,正しくは「在」とあるべきところだろう。
としておいた。ところがである。明藍格抄本『甲乙経』巻三・手少陽及臂凡二十四穴第二十八に「消爍肩下臂外開腋斜肘分下胻刺入六分灸三壯」とあって,戴霖が欄外に「有乃在之誤」と書き込んでいる。まさか,明藍格抄本『甲乙経』の抄者も日本人,なんてことは無かろう。してみれば,中国人にも「有」と「在」を間違える理由が有ることになる。実は鍼灸古典聚珍『新校正 黃帝三部針灸甲乙経』(と言っても,試作本の複印)でも,巻六・内外形診老壯肥瘦病旦慧夜甚大論第六の「在内者,五藏爲陰,六府爲陽;在外者,筋骨爲陰,皮膚爲陽。」を「内者,五藏爲陰,六府爲陽;外者,筋骨爲陰,皮膚爲陽。」に誤っていた。

2015年8月12日 星期三

禁之則逆其志

『太素』巻二・順養に:
黃帝曰:胃欲寒飲,腸欲熱飲,兩者相逆,便之奈何?且夫王公大人,血食之君,驕恣從欲輕人,而無能禁之,禁之則逆其志,順之則加其病,便之奈何?治之何先?
歧伯曰:人之情,莫不惡死而樂生,告之以其馭,語之以其道,示之以其所便,開之以其所苦,雖有無道之人,惡有不聽令者乎?
「示」の下の「之」は前後文例に拠って補った。
『霊枢』師伝は「馭」を「敗」に作る。では「敗」と「馭」では,いずれが是か。
「馭」は「御」に通じ,節制の意が有る。「道」は「道理」。つまり,これに告げるにその制を以てし,これに語るにその理を以てする。(これに告げるにその欲に順わずに節制すべきを以てし,これに語るにその志に逆らっても道理によるべきを以てする。)「馭」を取る。
また新校正は,「馭」は下の「苦」、「乎」とみな古韻魚韻に在るといい,したがって「馭」の方がいいだろうとする。

2015年7月31日 星期五

あくたがわ

みなさん,騒いでらっしゃるけど,芥川賞ってそんなに大層なものなんですかね。 そりゃまあ大層なんだろうけど,芥川賞作家の小説なんて読んだ記憶が無い。 そりゃまあ読んだんだろうけど,だれが取ってたのか,なんて知らない。 それにそもそも,芥川龍之介の小説なんて,そんなに佳いかね。中国種の短編なんて,もとの中国の伝奇のほうがずっと佳い。 ああ,『支那遊記』は結構,好きです。つまりわたしにとって,芥川は小説じゃないんだけど。

2015年7月17日 星期五

東洋文庫861『西湖夢尋』p201 葛嶺

……瓶の中には蓮の実のような丸薬があり,それを食べるとまったく味がしなかったので捨て(漁翁に施し)たが,施された老漁師が一つだけ食べると,のちに年は百六歳になった。……

注に,原文を修訂して「捨てようと思ったが,老漁翁に与えたところ,漁翁は一つだけ食べた」の意に取った,と言うが然らず。「絶無気味,乃棄之」,不味かった(効能が有るとも感じなかった)ので,吐き捨てた。「施漁翁独啖一枚」,老漁師にやったら一つだけ食べた。だから,老漁師は長寿を得た。井戸の主は,吐き出したので,なんのことも無かった。

……瓶の中には蓮の実のような丸薬があり,それを食べるとまったく味がしなかったので吐き出し,残りを漁翁に施した。施された老漁師が一つだけ食べると,のちに年は百六歳になった。……

東洋文庫861『西湖夢尋』p198 蘇軾「六一泉銘」

……八極をも指図して斥けているからには,どこに至らないことがあろうか。……

原文は「公麾斥八極,何所不至」。
案ずるに,「麾斥」は,縦横奔放の貌。蘇軾の詩に,「麾斥八極隘九州,化為両鳥鳴相酬」(八極に麾斥にして九州を隘しとし,化して両鳥と為りて鳴いて相い酬ゆ)とある。
八極を縦横奔放に引っかき回すからには,どこに至らないことがあろうか,だと思うがね。

2015年7月16日 星期四

この道は,どこへ行き着くのか?

だって自分たちで選んだ人がやったことでしょう?

行ってらっしゃい! お元気で!


2015年7月15日 星期三

東洋文庫861『西湖夢尋』p155 秦楼

(1)原文「数百武」、古くは距離の単位として半歩を武といった。

これは拙いだろう。言っていることは間違いではないが,普通の人は当然誤解する。古くは,例えば右足を出して,つづいて左足を出して,それで一歩とした。今の言い方なら,二歩である。古くは,例えば右足だけを出したのであれば,一武とした。今の言い方なら,一歩である。

2015年7月10日 星期五

東洋文庫861『西湖夢尋』p80 岳王墳

……(秦檜・王氏・万侯卨・張俊の)四人は反対向きになり(岳飛の)祠廟の赤い壇に向かってひざまづいた。……

四人が反対向きになって,どうやって一つの祠廟に向かうのか,と不審に思って原文を調べたら,「反対向きになり」に相当するのは「反接」でした。反接が「後ろ手に縛る」という意味だということくらいは,『漢辞海』にだって載っている。