2017年8月15日 星期二

廷孔

「壬」は漢音でジン,呉音でニンです。『漢辞海』にはそう載ってます。
ところが,小篆では2種類あって,ジンとテイだと指摘されました。いわれてみると廷の声符としてはテイでないと困る。

そこで『説文解字』をみてみると,「壬,善也。从人士。士,事也。一曰象物出地挺生也。」と有りました。段玉裁は壬挺疊韵といってますから,多分,あとの一曰がテイなんでしょう。もともと別の字なのかも知れない。下部が士の字(壬ジン?)と土の字(𡈼テイ?)。
『漢辞海』の親字は廴に壬ですが,異体字として廴に𡈼も載せている。「なりたち」の項には,「𡈼」が音とある。それ以上の説明は無い。『漢辞海』(第3版)の音訓索引テイに「𡈼」は無い。
『新字源』では「𡈼」(テイ、チ、チョウ)と「壬」(ジン・ニン)の双方を載せてます。無論,意味も異なる。
「廷」は𡈼の声であって,壬の声の「任」とは関係ない,と言うべきだったかも知れない。
でも,漢字の形って信用ならない,というお話でもあったわけで……。

廷孔ねえ,天子が諸官に引見する庭への孔というより,脣シンに関わるなにかのほうが,古代中国人の発想に叶いそうなんだが。

☞壬の声

2017年8月14日 星期一

ごシンセツなフリガナ

浅野裕一さんの『儒教 ルサンチマンの宗教』(平凡社新書 1999年)が,『儒教 怨念と復讐の宗教』と改題されて,講談社学術文庫に入った。出土文献の発見が相次いで,かなりの数の論文を執筆し,研究も進展,その結果を踏まえて,若干の補足を加えることにした,とのことで,再購入せずばなるまい……,と。
で,『中庸』という書物に関して,
……「中庸」とか「誠」といった倫理を説くための著作と考えられてきた。……
の「誠」に,前はわざわざ「せい」とフリガナがあったが,今回は「まこと」になっている。考えが変わったんだろうか,何か深遠な意味があるんだろうか。無いんだろうなあ,多分。

2017年7月21日 星期五

子有と子路

……さて孔子は答えた。冉求は引っ込み思案だ。だからすぐ実行しろと推進した。仲由は出しゃばりだ。「兼人」の二字は、はっきりした訓詁を欠くが、そうした方向の意味にちがいない。だからおさえた。……(『論語』下・先進第十一 著者:吉川幸次郎 朝日新聞社発行)


2017年7月14日 星期五

その人に非ざれば……

魔女狩りだ!って騒いでいる親爺さんがいるらしい。
だけど,悪い魔女は狩るべきです。
問題はその名をかりて,むしろ聖女というべきものを狩ることに在る。

未だに,欧米には,自ら魔女であると称するものがいるらしい。
わたしは善い魔女である,と。

どうやって魔女になるのか。
その素質が有るものが,修行してなる。
その人に非ざれば伝えること勿れ。

その人とは,
たとえば,電線にとまった雀は何羽か,と問われたとする。
端から数える人は科学者を目指せば良い。
一目見て,何羽と(ある意味で無責任に)応える人が魔女に向いている。
むかし読んだ魔女の入門書に,そう書いてあった。

2017年7月2日 星期日

行けるうちに行っておけ

むかしむかし,まだ上海にいたころ,島田先生の患者さんで書家の藤木さんが,お弟子さんをつれて遊びにきた。たしか二度。その二度目のことだったと思うけど,先ず列車で紹興へ,紹興から杭州へ,そして杭州から蘇州へ,蘇州から上海経由で帰国。(順序はうろおぼえ。)列車の手配が大変でした。
紹興では,書家ですからね,当然ながら蘭亭へ行きたい。でも当時は交通機関が十分でなくて,前日に予約しておいたはずなのに,その日になってタクシーの手配ができてない。ホテルのフロントで,明日ならなんとかすると言われたって,明日は特急(?)の切符を苦労して手にいれている。押し問答のすえ,あっちこっちに電話してくれて,まあ何とか蘭亭まで行けました。
蘭亭の周囲は田んぼで,タクシーは道路脇に停めて,わるいけど後は歩いてくれと。まあ,バス停から田んぼ越しに見えるという程度の距離だから問題は無い。うわさどおりの流水に,うわさどおりの鵞鳥がガアガアいってました。
なんで,そんなに食い下がったかというと,藤木さん,入院して,回復しての小康状態だったから,次の機会にはなんとかする,というわけにはいかないと思った。実際にはそれから結構長く元気だったけれど,こちらが怠惰で,もう一度もう一度とせっつかれたけれど,やっぱり次というわけにはいかなかった。おしいことをしたと思うし,悪いことをしたとも思う。
タクシーの運転手は,タクシーの横で煙草を吸いながら待っていた。口数は少ないけど,親切な若い人だった。料金を支払うときになって,無事に蘭亭見学もできたし,さりげない親切が嬉しかったので,チップを渡そうとしたら毅然として断られた。そして領収書が要るだろうから寄り道をする,と。なんと市役所でした。つまり,市の公用車を無理に手配してくれたみたい。
当時の中国の若いお役人には,生真面目な人がけっこういたんです。
蘭亭は,すくなくとも当時は,観光ズレしてなくて,いいところでした。
あんまり写真も残ってないんだけど,たぶんそのときのもの。たぶん,三十年くらい前。どこの街角かはさだかでない。関係ない人が勝手にポーズをとっている。当時もひょうきんものはどこにでもいた。

2017年6月21日 星期三

漢字なんて嫌い

兪か俞かなんて,どうでもいいと思う。でも兪と輸が並んで出てくると,ちょっと気にくわない。気にくわないのがこうじると,兪のコードのところに俞を作字したり……。昔はやってた。バカだね。でも,もっと気にくわないのは,今は兪と俞と双方に別々のコード番号が振られていること。だから,どちらかを選ばないと入力できない。肺兪を顧従徳本『素問』通りに肺俞と入力しなければ,ヒットしないかも知れない。肺俞でも肺兪でも,『霊枢』ではヒットしない。肺腧でないとね。さすがに月に兪でないと,ということは無さそうですが。


2017年6月20日 星期二

志怪の書

古い小説筆記の類の怪奇談を拾い読みしてから,『閲微草堂筆記』を読むと,やっぱりおおらかさに欠けるように思う。

2017年6月16日 星期五

大蛇か蜈蚣か

米原の近くに,柏原という駅がある。ここに一つの伝説があって,柏原の弥三郎(もしくは伊吹の弥三郎)という乱暴者がいて,土地の大物の大野木殿の婿になっていた。ところが弥三郎の悪行が過ぎて,義父もたまりかねて,成敗した。
この弥三郎の正体は,大蛇だということになっている。
ちょっと待ってよ,ノギというのはナギと同じく蛇のことではなかったか。蛇が蛇を成敗した,のか。(わたしの先祖に,小野木というのがいる。)

俵の藤太は,瀬田の唐橋の大蛇の化身である姫君に頼まれて,蜈蚣退治をしている。敵役が大蛇でなくて,蜈蚣というのがおもしろい。鏃に唾したのが,蜈蚣にとって大毒というのもおもしろい。

宋の『独醒雑志』という怪奇小説集に,報寃蛇というのが載っている。これを防ぐのに宿の主人が筒を貸してくれて,枕元に置いて寝ると,夜中に蛇が屋根裏から堕ちるのに応じて,筒から大蜈蚣が這い出して,蛇を制しかつ斃した。蛇と蜈蚣が敵同士という話は,これに拠るのだろうか。もっと古い謂われが有るんだろうか。こっちは蛇が敵役。

ひょっとすると,蜈蚣の毒に唾が効くというような方書も,有るんじゃないか。

2017年6月12日 星期一

漢字

腕の動きは,横へは左から右へ,縦には上から下へ。だから漢字の書き順はそうなっている。

なるほど。
しかし,それだったら,左から右への横書きのほうが,自然な動きではあるまいか。勿論,書き順に多少の変化は生じるだろうが。
そういえば,現代中国の人が,門を门と書くのは当然ながら,冂と書いて丶をうつのを何度も見ている。
連綿体の様子もかなり変化するでしょうなあ。

人の目は横に並んでいる,だから横書きのほうが自然に読める,といった人もいる。
パソコンじゃ横書きのほうが扱いやすい。パソコン画面で読むのが普通になれば,そのうち紙の新聞も横書きになる,といった人もいる。

考えてみれば,甲骨文字は甲や骨に刻んだんだろうから,鑿は手前から向こうへ,つまり字形の下から上へ,じゃなかったろうか……。

2017年6月4日 星期日

痺

何時の頃からか、麻痺でなく麻痹と書く人が増えた。理由も薄々は分かっていた。別に卑しい病というのが拙い、というわけじゃ無さそう。
ところがである、ごく最近、変なことに気づいた。
『山海經』南山経に、「南山二経之首,曰柜山,……有鳥焉,其状如鴟而人手,其音如痺,其名曰鴸,其名自号也,見則其県多放士」とあり、郭璞は痺に注して「未詳」と云う。『爾雅』釈鳥に「鷯鶉,その雄は鵲,牝は痺」とあるのを、郭璞は見てないのだろうか。その鳴き声は雌のウズラのようだ、で良さそうに思うが。
因みに、痹は『説文解字』に、「溼病なり。从疒に従い畀の声」とある。溼は、『漢辞海』には湿の異体字として載っている。
郭璞にとっては、痹でも痺でもシビれのことだったんだろうか。