2014年12月29日 星期一

古医籍の翻字を試みていると,しょうもないことに悩む。

仁和寺本『太素』の「殺」を「煞」と入力すべきかどうか。
『干祿字書』では「殺」が正で,「煞」は俗なんです。
正字に統一する!と宣言してしまえば,まあ楽なんですよ。
でも,実際に使われている異体字の情報も保存したい,なんてしょうもないことを考えるとややこしい。
今は,パソコンで使える漢字もずいぶん増えたから,「煞」でも大丈夫なんです。
それに,これは『水滸傳』の地煞星の煞なんだから,中国趣味の人間だったら知ってろよ……,と言ったって,それほど無理では無かろうし。
でもね,仁和寺本『太素』に書かれているものの多くは,実際は「煞」でもないんです。
下の列火(灬)に当たるものが,✓のような一画になっている。
こんなんだったら,わざわざ「煞」にしたって五十歩百歩。
でもね,造字の意図は違うんじゃないかとか,いや楷書化の手際の差に過ぎないのかも,とか。


ある本では(普段書いている字でいえば)「胸」なのに,ある本では「胃」になっている,なんてときには,やっぱり底本通りに「胷」にしておくことにも意味が有ると思うんです。

2014年12月16日 星期二

脆骨

『聖濟總録』に,「諸痔宜灸廻氣三七壯。黄帝鍼經云:穴在尾脆骨上一寸半。又連崗穴主之,在廻氣穴兩邊相去三寸是也,各灸三七壯。」の文章があるらしい。
この「尾脆骨」には疑問が有る。「尾骶骨」に改めてもよいのではないか。
『千金要方』に,「五痔便血失屎,灸回氣百壯,穴在脊窮骨上。」とあるらしい。
そして,『太素』卷十一・氣府に「大椎以下至尻廿節間各一,胝下凡廿一節,脊椎法。」とあり,楊注に「胝,竹尸反,此經音抵,尾窮骨,從骨為正。」と云う。この楊注中の抵の右旁の氐は,実際には互に近い形(あるいは弖に近いというべきか)に書かれている。これとまあ似た形は,危のくずし字に有る(近藤出版社の『くずし字解読辞典』)。馬王堆の簡牘帛書にも,右旁の氐と危とに似たものは有る(上海書店出版社の『馬王堆簡牘帛書常用字典』)。
つまり,最初の資料に尾骶骨と書くべきところを,肉月の胝にして,その胝の書樣が脆と紛らわしくて,誤られたに過ぎないのではないか。

脊椎の下端の軟骨の上云々でも,意味はまあ通じるからややこしい。

2014年12月14日 星期日

ごくろうさん

前にもよそでつぶやいたことが有るんだけど,

投票にいくたんびに,こんなしょうもない選挙に,寒いのに,よくもまあこんなにたくさんのひとが投票にくるもんだ,と思う。

現代語訳が ほしいですか

原文は:
 提起古籍版本,常使人連想古董,従経済価値着眼,越古越貴重。旧時達官貴人富商大賈常以捜求玩賞古籍而謬托風雅,致使研究古籍版本者往往蒙受玩物喪志之譏。然而版本学之真正価値固不在于斯也。

公刊されている翻訳は:
 漢籍の版本といえば,よく人は骨董品を連想し,経済的価値から,古ければ古いほど貴重だ,という見方をする。往時,高級官僚や貴人,富豪・大商人は,漢籍を探し求めて鑑賞し,やたらと風雅にかこつけたので,漢籍の版本研究者は往々にして「玩物喪志」のそしりを受けるようなこともあった。しかし,版本学の本当の価値はもとよりここに在るのではない。

でも,日本人が初めから日本語で,自分のことばとして書いたら,こんな具合じゃないか:
 古籍版本などと言いだせば,人は骨董品を思い浮かべて,金銭的な価値観から,古ければ古いほど良いと思いがちである。むかしの成り上がったお偉いさんや大もうけした商ん人は,古籍を買い求めて翫んで,風雅をきどったりした。そこで,古籍版本を研究するなどといえば,玩物喪志のそしりをうけがちである。しかるに版本学の本当の価値は,もとよりそんなところには在るわけではない。

2014年12月5日 星期五

古典なんて読んだって

どうして古典を読むのか,と問われると,面倒だから,古典なんて読んだって臨床とはあんまり関係ないですよ,と応えてしまう。結構,うけるけれど,これではいくら何でも誤解される。

針とか灸とかは第一義的には技術だから,先ず手を動かす修行が大切なのは当たり前。でも,どう動かすのかは,師匠や先輩から教わるわけだし,師匠や先輩が何に拠ってるかは,結局のところ古典しかない。ある程度から先は,自分も古典を紐解かないわけにはいかなくなる。

古典を読むと,やらなきゃならないことはむしろ減ると思う。やっちゃいけないことも,誤読から始まっていることが多い。

すぐに役立つことが書いてあるわけじゃないかも知れない。極端な譬えだけど,寿司職人になるには,魚の目利きから包丁の研ぎかた,さらには全く関係なさそうな一般教養も要るんじゃないのか。歳時記ぐらいは愛読しているべきじゃないのか。でもね,回転寿司の店員でいいなら,店のマニュアルを読めばたくさん。そのほうが手っ取り早く稼げるんでないの。でもね,自分は本当は何になりたいのかは,考えてみる価値が有ると思う。

鍼灸師養成学校にかよっていたころに,あるいはせめて資格をとったばかりのころに,古典について,せめていま丁度の認識があったら,もっと安心して手の修行をしていたと思う。もう少しはましな臨床家になれていたと思う。たとえば六部定位脈診が苦手だと,古典的な針を志す資格なんてないんじゃないか,と恐れていたけれど,考えてみればあれは三部九候診のミニチュアに過ぎない。腕関節でチマチマがうまくいかなかったら,大きく全身を撫で回せばいいじゃないか。

2014年11月11日 星期二

中医古籍整理叢書重刊

中医古籍整理叢書の重刊が出てますね。
出版社によると,原版の出版から時間がたって,市場に見つけることが困難になっているし,中には中医読者の珍蔵品とされるようなものになっているから,重刊が必要になった,らしい。
有り難いことです。
現代の読者の閲読習慣を考慮して,繁体字横排にしたそうです。パソコン時代ですからね。私ごときも,横排の方に親しみを感じるようになってしまってます。
しかしねえ,余程丁寧にやってもらえないと,誤解しそうなんです。
『鍼灸甲乙経校注』の重刊,巻一・四海第八の部分:
血海有餘則常想其身大,怫 鬱也。然不知其所病;
(校注の番号は省略)
不覚ながら,ぎょっとしました。「常想其身大,怫。」なんて句読が有るわけがない!それはまあ,有り得ません。勿論,「怫然不知其所病;」です。つまり「鬱也」の下の「。」は小さくするべきです。昔の竪排ではちゃんとそうなってます。「鬱也。」は小字注文のはずです。

2014年11月7日 星期五

徘徊 言い換えませんか

言い換えませんかァ?

なんのつもりだ。徘は行ったり来たりする,徊はぐるぐるまわる。どこともなく歩きまわること。
どこが気に入らないんだ。

わたしなんぞは,東京に出れば神保町あたりを徘徊して書物を購い,時間に余裕が有れば横浜中華街を徘徊して,飯を食い買い物をする。「一人歩きして」なんぞとは金輪際,言われたくない。
棚と棚を眺め徊ったり,たまに引き抜いたり,たまに(必要も無い書物を)購入したり。それはまあ,とりとめもない。
中華街ですれ違った幸せそうな若い(幼稚い?)カップルの,男の人が一人で来る(徘徊している?)なんてなんでなんだろ,なんていう呟きが耳に入ったことも有る。それはまあ,小籠包を歩き食いするためじゃない。

痴呆症を認知症と言い換えた成果の応用のつもりらしい。それはまあ痴愚で阿呆はいささか拙いかも知れない。

日本人は一字一字の字義に拘りすぎる傾向が有ると思う。国語審議会だかで,人名には使える漢字のリストから塵というのは外されたらしい。塵芥なんて名をつける親は有るまい,ということらしい。銭超塵先生,どうしましょう。つける親は有るまいということなら,疾病なんてのも要らなさそうに思う,でしょう。ところがどっこい,中国の歴史上には棄疾さんも去病さんも,燦然としている。

言い換えてしばらくたつと今度は,ひとり歩き,外出,お出かけ,お散歩にも,いや~な雰囲気が出てくる。そして日本語は痩せ衰える。

2014年9月22日 星期一

応該 不要

『霊枢』本輸篇に:
 刺上關者,呿不能欠;刺下關者,欠不能去。
 刺犢鼻者,屈不能伸;刺兩關者,伸不能屈。
とある。短い文章だが,ここにはおおよそ3つの問題が有る。
①針刺の際に,そんなとこを刺したら不都合が生じるというのか,それともそうしなければ穴が取れないというのか。
②呿と欠は反対の動作であるべきなのに,ほとんど同義である。後のほうの去が呿の誤りであるのは勿論だが,欠も何かの誤りではないか。
③犢鼻とか両関とかいうのは,具体的にはどの穴のことなのか。膝の犢鼻穴と手首の内関と外関では,離れすぎてないか。

①「不能」の2字を,「すべきでない,そうしてはいけない,そうしたのでは上手くいかない」と訓むことができるのなら,やはり取るべき姿勢と考えたい。『甲乙経』巻3耳前後凡二十穴に,上関は「開口有孔」,下関は「合口有孔,張口即閉」とある。「屈不能伸」は,わたしらの感覚では「曲がっちゃって伸ばせない」と解するのが当たり前だと思うが,取るべき姿勢という注釈家のほうがむしろ多いからには,「曲げなきゃダメ,伸ばしちゃダメ」も有り得るんだろうなあ。漢語は難しい。辞書には一応,「能」の基本字義のうちに「応該」というのは載っていた。応該張口,不要閉口。要もまた応該である。
②呿は,大口を開ける。欠は,もともとは大あくび。下の去は明刊未詳本『霊枢』の誤りで,上と同様に呿のはずである。口偏が脱落したのである。とすれが,欠にも口偏を補ってはどうだろう。呿は張口の貌,吹は撮口して気を出す,釣り合うと思うが。
③犢鼻は,わたしたちが知っている足陽明の犢鼻穴ではあるまい。『甲乙経』に,陽関が陽陵泉の上三寸で犢鼻の外の陥中に在ると言うばかりでなく,膝関が犢鼻の下二寸の陥中に在るとも言う。つまり犢鼻は膝頭を挟んで左右に二つ有る。だから,『太素』では内関に作るが,やはり両関のほうがいい。で,つまり,二つの犢鼻穴の近くに在る陽関穴と膝関穴であろう。残念ながら,『甲乙経』には針刺の事故の注意も,姿勢の指示も無い。

2014年9月15日 星期一

中国古代医学における「気」とは何か?

おそらく,一番平俗には,「病は気から」というあれだろう。
要は,「気持ち」の持ちようである。
ついで,血が循環する管が有るように,気が循環するナニモノかが有るはずだ,という言い方。そのナニモノかを現代西洋医学は未だに知らない。でも,有るはずだ。つまり,何がどこを循っているのかはようわからんが,血の他に何か特別なものが流れているはずだ。
それともう一つ,目の前の人は,確かに固体として見えているが,実は大部分は液体として流れているんだし,本当は気体としてわだかまっているんだとする。固体か液体か気体か,と目先のことを言うけれど,生きた存在であるからには,本質は融通無碍な気体であると考えるべきじゃないか。今たまたまかなり凝集して,可視化して,そこに見えている。その気体としてのあり方が正常であれば健康であり,おかしなことになっていれば病である。
自ずから然るべく流動している,といっても,地上の水なら高きから低きへでいいけれど,人体においては,どう動いているのが自ずから然るありかたなのか,それがようわからん。そこで,ああじゃないか,こうじゃないかと囂しいわけだ。
自ずから然り,というルートは有ると思う。だけど,そうした管や溝が有るわけじゃ無いとも思う。だから,経絡は有りますと言うべきか,有りませんと言うべきか,未だによう判らん。

2014年7月30日 星期三

善か喜か

(『素問』の)北朝伝本は,現存する文献の中では,ただ一つ隋唐の楊上善撰『黄帝内経太素』が現存する『素問』『霊枢』の内容と基本的に同じなだけである。北朝の時には多くの避諱が有り,例えば北朝東魏の孝静帝の名が元善見であるから,『黄帝内経太素』の文中では「善」を改めて「喜」としていて,これは元善見の諱を避けて文字を改めたのである。故に『黄帝内経太素』一書において,楊上善が拠った底本は北朝伝本のはずである。(『黄帝内経針灸学之研究』李順保主編 学苑出版社)
何のことやらさっぱり判らない。私の新新校正の電子データを調べたところ,善も喜もそれぞれ200ほどヒットする。紛らわしいものも有ったように記憶しているが,仁和寺本の影印を確認したところ,紛うかたなく善というのも決して少なくない。李先生は,袁昶もしくは蕭延平の字面を過信したものと思われる。あるいはまた『素問』の善が『太素』では喜になっていると言いたいのかも知れぬが,そうならそうと多くの例を挙げて言ってもらわねば,安易に頷くわけにはいかない。

2014年7月12日 星期六

中国絵画の気

>p.2……後漢時代の石製の祠堂に施されたレリーフの拓本である。中央の人物は、不老不死の薬の元締めの神様、西王母である。この西王母の両肩から伸びる、孫悟空の觔斗雲のような形のものが「気」である。
>注意すべきは、気は、実際にこのような形をもっているわけではない、ということである。気そのものは基本的には不可視な存在である。しかし、西王母が特別な存在であることを示すために、霊妙な気を発する存在として表現されている。そのために、形のない気が形象化されている。
>……金の王庭筠の「幽竹枯槎図」である。これは、画家のもっている気が表現されている。逆境にもめげず高潔を保つ精神性を枯木と竹が表現し、そして事物の形にとらわれない筆づかいが自由な境地を表現している。我々が精神や心と呼んでいるものも、気のはたらきによると考えられていたので、画家の精神性が表現されたということは、画家のもっている気が表現された、あるいは形象化された、と言えるのである。……
>簡単に言えば、中国絵画における気の表現は、気を直接形象化した表現から、実物の形象を使いつつ気を表現するという転換をとげたわけである。……

>p.42 六朝時代の絵画を考えるとき、いくつかの重要な転回点があることに注意が必要である。最大のポイントは、「気の評価論」の登場である。気を直接形象化してきた漢代までと異なり、この時代には、目に見えない気を、目に見える形象を使って表すことを意識し始める。……

>p.4……南宋、李迪の「紅白芙蓉図」である。これをどう見るか。気の考え方からすれば、この絵はまさに芙蓉の気を表している。芙蓉の気、それは読者の方がこの絵を見て感じる、その匂い立つ美しさそのものが芙蓉の気である。

>p.98……蘇東坡の「書鄢陵王主簿所画折枝」……
> 論画以形似  絵画を論ずるに形が似ていることを問題にする
> 見与児童隣  そんな見解は子供同然……

>p.193 この文人山水画の終焉に関連して、鄒一桂に次のような言葉がある。「現実の対象と形が似ていないのにその対象の精神までとらえた絵など存在しない。この御仁は絵がへただったからこんなことを言ってとりつくろったのだ」。……

『中国絵画入門』宇佐見文理著・岩波新書1490 より

2014年5月31日 星期六

九卷云 又曰

醫學六經本『甲乙經』卷5鍼灸禁忌第一上の冒頭付近
L02故刺絡脉諸滎大經分肉之間甚者深取之間者淺取之
S16素問曰春刺散兪及與分理血出而止 
S61又曰春者木始治肝氣始生肝氣急其風疾經脉常深其氣少不能深入故取絡脉分肉之間
L44九卷春刺滎/者正同於義爲是
L21又曰春取絡脉治皮膚
L19又曰春取經與脉分肉之間/二者義亦畧同
S64曰春氣在經脉
L02取諸兪孫絡肌肉皮膚之上
L44又曰刺兪/二者正同於義爲是/長夏刺經
L19又曰取盛經絡取分間絶皮膚
L21又曰夏取分腠治肌肉/義亦畧同
S16素問曰夏刺絡兪見血而止
S61又曰夏者火始治心氣始長脉瘦氣弱陽氣流溢血温於腠内至於經故取盛經分腠絶膚而病去者邪居淺也所謂盛經者陽脉也/義亦畧同
S64又曰夏氣在孫絡長夏氣在肌肉
L02刺諸合餘如春法
L19秋取經俞邪氣在府取之於合
S16素問曰秋刺皮膚循理上下同法
S61又曰秋者金始治肺將收殺金將勝火陽氣在合陰初勝濕氣反體陰氣未盛未能深入故取兪以瀉陰邪取合以虗陽邪陽氣始衰故取於合/是謂始秋之治變也
S64又曰秋氣在膚/閉腠者是也
L21九卷又曰秋取氣口治筋脉/於義不同
L02取井諸俞之分欲深而留之
L19又曰冬取井滎
S16素問曰冬取兪竅及於分理甚者直下間者散下/兪竅與諸兪之分義亦畧同
S61又曰冬者水始治腎方閉陽氣衰少陰氣堅盛巨陽伏沉陽脉乃去取井以下陰逆取滎以通氣
S61又曰冬取井滎春不鼽衂/是謂末冬之治變也
S64又曰冬氣在骨髓
L44曰冬刺井病在藏取之井/二者正同於義爲是
L21又曰冬取經兪治骨髓五藏/五藏則同經兪有疑

「又曰春刺兪」は「又曰夏刺兪」の誤り。
『靈樞』本輸からの文字が主文。主文だけでは不足のところには,『素問』もしくは『九卷』の文を補う。又曰として幾つもの文を補うことも有る。引く書物が替わるときには書名をいうべきであるのに怠ったのは,春の最後の「春氣在經脉」。再び「素問曰」とすべき。それと冬の最後のあたり,『素問』四時刺逆從論の後に『靈樞』順氣一日四時を引いたところは,再び「九卷曰」とすべき。
「九卷云」は「九卷曰」ではないのか。「九卷曰」であればこそ,「又曰」として『靈樞』からの三條を引くことができる。
「九卷云」としたのは,「者正同於義爲是」というコメントが有るのが關わるかも知れぬが,下例に據って,「二」字を補って「二者正同,於義爲是」とすれば濟むことだろう。

『靈樞』本輸を主文として,『素問』から幾篇か,『靈樞』からも幾篇か,を引いて補う。本當は,その順序は概ね同じであるべきだと思う。異なる場合には,何か理由が有るべきだと思う。引く書物が替わるのに「又曰」という箇所は,頗る疑わしい。

2014年5月28日 星期三

大知閑閑 小知間間

『莊子』斉物篇に「大知は閑閑たり,小知は間間たり」とあり,現代語訳して「大きな知はゆうゆう,小さな知はこせこせ」という。よりどころとして,閑は大であり,間は覗である。
そんなことがあるだろうか。閑と間は通じて,いずれにせよ余裕があるとか隙間があるとかではないのか。
同じことなんだけど,肯定的には大らかにゆうゆうで,否定的には,うまい表現を思いつけないんだが,ようするに締まりが無い。
大知と小知に同じ,もしくはほとんど同じ表現を用いて,でも微妙に,あるいは決定的に違う,と表現したのではないか。一字一字の意味なんて,閑も間も,良い意味でありうるし,悪い意味でもありうる。

2014年5月9日 星期五

以移其神

『黄帝内經太素』卷二十二・三刺
深居靜處,
〔爲鍼調氣,凡有六種:深□□□□□□靜,一也。〕
與神往來,
〔去妄心,隨神動,二也。〕
閉戶塞牖,魂魄不散,
〔去馳散,守魂魄,三也。〕
專意一神,精氣不分,
〔去異思,守精神,四也。〕
無聞人聲,以收其精,
〔去異聽,守精氣,五也。〕
必一其神,令之在鍼,淺而留之,微而浮之,以其神,氣至乃休。
移,平和也,守鍼下和氣,六也。〕
しかし,移に平和なんて意味が有るのかね。いろいろ字典、詞典を引いてみたけれど,それらしいものを見つけられないでいる。で,『太素』の画像を見直してみると,平よりも卒に近いような気もしてきた。卒和なら分かるかというと,やっぱり分からん。

2014年4月13日 星期日

2014年4月7日 星期一

みなさんお行儀がいいので

『霊枢』経水篇に:
足陽明,五藏六府之海也,其脉大血多,氣盛熱壯,刺此者不深弗散,不留不寫也。
足陽明,刺深六分,留十呼。
足太陽,深五分,留七呼。
足少陽,深四分,留五呼。
足太陰,深三分,留四呼。
足少陰,深二分,留三呼。
足厥陰,深一分,留二呼。
手之陰陽,其受氣之道近,其氣之來疾,其刺深者,皆無過二分,其留皆無過一呼。
其少長大小肥痩,以心撩之,命曰法天之常。
とある。手之陰陽との対比からすれば,前の足陽明は足之陰陽の誤りの可能性が有る。大当たりか,トンデモけしからぬ妄想なるか,それはマア兎も角として,誰も何もおっしゃってない,みたい,皆さんお行儀がよくていらっしゃるから。

2014年3月29日 星期六

漢字は,もともとは絵であったろうから,二人のものがそれぞれに工夫すれば,同じことを表現するに,二通りの絵ということもまま有ったろう。そういう発想の異なる絵が,形体を異にする文字になってしまうのは,納得できる。気にさわるのは,同じ発想の絵が,標準化の過程で別の種類の整理によって,二通りの文字になったといわれる場合で,手書きならそこが漢字のフレキシブルなところ,便利なところと嘯いていられるが,活字、フォントとなるとそうはいかない。極端な話,シンニュウの点の数で,試験の合否が決まったんではどうもならん。そこまでで無くとも「脈」と「脉」,こんなのはもともと同じでしょう。脉の右半は別に永じゃない。𠂢(脈の右半,環境によっては化けるかも)の書き順を変えれば,たぶん,こうなる。𠂢(脈の右半)、乑(衆の異体字らしい)、永,そっくりじゃないか。なまじ活字、フォントの用意が有るから,脈か脉か,どちらを使おうかと迷うけど,しょうもない。仁和寺本『太素』なんぞでは,さらに二の下に水のような形になっている。これには流石にフォントが無い,と思ったら,有ったよオイ,って部品のはなしだけど。𣱵(亠の下に水,勿論,化けるだろう),最初の一画がゝだけど,仁和寺『太素』だって……。

2014年3月22日 星期六

閒は間の旧字体,そのように記憶していた。実際に,『漢辞海』にもそのように載っている。ところがである。《通用规范汉字字典》(王宁主编 商务印书馆 2013年)には,闲の繁体字として閑が,異体字として閒が載る。どうしたことか。


2014年3月11日 星期二

人無癖不可與交,以其無深情也;人無疵不過與交,以其無真氣也。
張岱『陶庵夢憶』祁止祥癖,また同『瑯嬛文集』五異人傳より。

2014年3月3日 星期一

其他奇方異治

『甲乙経』皇甫謐序に:
……漢有華佗、張仲景。其他奇方異治,施世者多,亦不能盡記其本末。……
とあり、張燦玾氏も黄龍祥氏も、「其他」は「華陀」であるべしとして、『千金翼方』序を証拠に挙げるが、合点がいかぬ。
……漢有倉公、仲景,魏有華他,並皆探賾索隱,……
漢代の人として倉公と仲景だけを挙げたから、魏には華陀というのであって、『甲乙経』皇甫謐序のように漢代の人として、華佗と張仲景を挙げたのであれば、改めて華陀の奇方異治がどうのこうのという必要は無い。『千金翼方』序なんて、他は佗に通じるという証拠くらいにしかならない。
……漢に華佗、張仲景有り。其の他に奇方異治を,世に施すもの多し,またことごとくその本末を記すこと能わず。……
で、なんでいけないんだ。張氏とか黄氏とか、碩学がこぞって咎めるところからすると、「其他」云々では現代漢語として、気色が悪いんだろうか。

2014年2月23日 星期日

裹誤作里

最近,中国で出版される中医古籍の多くは,簡体字版である。好いんだろうか。好いんだろうなあ。
でも,例えば,
裹:原误作「里」,据○○本改。
なんてやったら,滑稽じゃないのか。これは当然,
裹:原誤作「裏」,據○○本改。
とすべきである。そうでなければ,ほとんど無意味である。
だから最近は,すっぱりと校記なんか全く無しというのまで出てきた。好いんだろうか。好いんだろうなあ。
でも,子供あつかいにされているように思う。

2014年2月19日 星期三

東洋文庫『世説新語2』 p.316

裴叔則被収、神気無変、挙止自若。求紙筆作書書成救者多、乃得免。後位儀同三司。
……紙と筆を求めて手紙を書ききちんと書き上げた助命嘆願する者が多かったので、やっと放免された。……

だったらどうして,上のような句読にしたのか。

2014年2月15日 星期六

医学天正記

ほとんど全部,薬による治療だとおもうけど,戦国歴史マニアとして,学苑出版社から出たのを覗いてみた。で,やっぱりだけど,患者の表記の誤りがワンサカ。

 本阿又三郎→本阿又三郎
 齐藤刑部→齊藤刑部
 远江浜松佐藤清卫门→遠江浜松佐藤清衛門(原本には補ってある)
 原伯耆守→原伯耆守
 浅野弹正弼→浅野弾正弼(原本には補ってある)
 下间刑部法印→下間刑部法印
 河边新→河辺新
 蜂屋𣨒九郎→蜂屋九郎
 下根三十郞→下根三十郞
 𣨒二郎→二郎
 女樂→女
 荒尾摩守→荒尾摩守(原本は芃屋を荒尾に訂正)
 子新太郎→子新太郎
 远藤𣨒作母→遠藤作母
 生下野守→生下野守
 喜多安津→喜多安津
 德永法印女中→德永法印女中
 喜多左京亮妹→喜多左京亮妹
 水瀬殿女中→水瀬殿女中

まだまだこんなものじゃない。どこかから所謂「歴女」の一人も引っ張ってきて,見せればよかったのに……。

2014年2月4日 星期二

黃帝ですか黄帝ですか

私の『太素新新校正』に,漢字の些細な筆画に拘る傾向が有ると思われているとしたら,それはまあ誤解です。それはまあ,などと引っかかる言い方をするのは,拘ってないわけでもないからです。でも,それは原鈔に見える俗字を解釈してコレだと示すのに,印刷物として固定するのに,楊上善の時代の正字に近づけようと試みているからなんです。無論,そんなことは不可能です。『干禄字書』を最大の依拠とはしていますが,決定的に資料不足です。では,どうするか。『康煕字典』体に従う,ということで逃げています。時代錯誤という叱責は覚悟しています。だから,これは逃げです。
『干禄字書』の正字も,『康煕字典』体も,現代人にはなじみが薄いかも知れない。だから,なんでそんなものに拘るのかという批判の声は聞こえてきます。私自身の内心からも聞こえてきます。でも,どんな字体だって良いじゃ無いか,というノーテンキでは入力はできません。読む方は良いです。漢字というものは,極めてフレキシブルなものです。耶だって邪だって,説だって說だって,狭だって狹だって,荅だって答だって,爲だって為だって,虛だって虚だって,普通の教養が有る普通の日本人なら読めるでしょう。でもどれでも良いとして作成した資料を並べて,あの本はこの字形,この本はこの字形,などと議論しだしたら滑稽です。いや,冗談じゃないですよ。外字をふんだんに使った『素問』『霊枢』をインターネット上で見つけて,四苦八苦する人は,実際にいたんです。文字化けしているんだから読めるわけがないのに。

だからね,『干禄字書』では何ともならないから『康煕字典』,というのは如何に何でも乱暴だ,とは思っています。そこで,現在は宋代の版本に実際に使われている字形を探ろうかな,と。でも,これにも信頼に足る資料なんてそうはない。王寧さんが主編で王立軍という人が著した『宋代彫版楷書構形系統研究』というのが有りますが,持っているのはそれくらいですかね。私,別に漢字研究者じゃないですから。漢字研究者に成りたくないわけでもないけれど。

黃帝ですか,黄帝ですか,それとも皇帝ですか。

2014年1月23日 星期四

老官山出土簡文挙例

《诸病症候》
肠瘅,食多善饥而少气,得之饥。

素問》氣厥論
大腸移熱於胃,善食而痩入,謂之食亦。

老官山出土簡文挙例

《脉死侯》
脉绝如□□,不过二日而死,烦心与腹伥□则死

《陰陽十一脈灸経》泰陰之脈
其所産病,□獨,心煩,死;心痛與腹張,死;不能食,不能卧,强欠,此三者則死;溏泄,死;水與閉則死;爲十病。

2014年1月21日 星期二

老官山出土簡文挙例

老官山の『経脈書』に:
手阳明脉,𣪠次指与大指之上,出辟上廉,入肘中,乘腝,出肩前廉,循颈穿颊,入口中。
其病□痛,口辟

馬王堆の『足臂十一脈灸経』に:
臂陽明脈:出中指間,循骨上廉,出臑上,凑枕,之口。
其病:病齒痛,。諸病此物者,皆灸臂陽明脈。
『陰陽十一脈灸経』に:
齒脈:起於次指與大指上,出臂上廉,入肘中,乘臑,穿頰,入齒中,挾鼻。
是動則病:齒痛,䪼腫,是齒脈主治。
其所産病:齒痛,䪼腫,目黄,口乾,臑痛,爲五病。
さあて名称は,手陽明で『足臂』の臂陽明がそっくりだけど,流注は……,
手陽明脈繫 次指與大指之上出臂上廉入肘中乘臑出肩前廉循頸穿頰入口中
臂陽明脈出 中指間    循骨上廉   出臑上凑   之口
  脈起於次指與大指 上出臂上廉入肘中乘臑      穿頰入齒中
『陰陽』の歯脈のほうがそっくり。
病症は,『足臂』の臂陽明のほうが近いのかな。

2014年1月14日 星期二

当病消渇

『素問』脈要精微論に「心脈搏堅而長,當病舌巻不能言;其耍而散者,当消環自已」とあるが,邵冠勇『中医古籍校読法例析』では,「環」は「旋」に通じ,速也,俄頃之間であるから,「心脈搏堅而長,當病舌巻,不能言;其耍而散者,当消,環自已」と句読すべきであるという。また,『素問』診要經終論に「中心者環死」とあるのは,「たちまち死す」であり,「甚者伝気,間者環也」とあるのは,新校正引く『太素』によって「環已」に改めるべきであり,「たちまち已ゆ」であると考証を補強している。
邵教授の考証は見事なようだが従い難い。新校正に引く『甲乙』も仁和寺本『太素』も,「消渇」に作る。これは無視すべきでない。五蔵および胃の脈が「揣堅而長」と「耎而散」である場合の病を列挙している。「当消」だけでは,いかにも他との釣り合いが悪い。ここはやはり,「当病消渇」であるべきだろう。『脈経』では現にそうなっている。
いっそのこと「当消渇,環自已」ではどうだろう。
「自已」の二字が衍文なんだという説もある。しかし,「耎而散」のほうには,どんな病になるかと,それからどうなるかを説くことが,心脈の他に,肺脈と腎脈とにある。「至今不復散発」と「至今不復」。「今」は「令」の誤りともいわれるが,『太素』を証拠に持ち出すのは拙い。仁和寺本を子細に見れば,やはり「今」である。自ずから已ゆ,今に至るも復せず散発す,今に至るも復せず,ではいけないんだろうか。今になっても回復しないのを「至今不復」,ときどき発作がおこるのを「散発」と書くのは,いささか心許ないのか。
でも,「たちまち自ずから已える」というのも,何だかぎこちないような気がする。

2014年1月1日 星期三